『スリー・ビルボード』はシリアスな状況のなかにユーモアがにじみ出る、みごとなクライム・ドラマ!

『スリー・ビルボード』
2月1日(木)より、TOHOシネマズ日本橋ほか全国ロードショー
配給:20世紀フォックス映画
©2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

 

第74回ヴェネチア国際映画祭で脚本賞に輝き、ゴールデン・グローブ賞ではドラマ部門の作品賞、女優賞、助演男優賞、脚本賞を手中に収めた作品の登場である。本作はアカデミー賞でも、作品、主演女優、助演男優、脚本、作曲、編集の6部門にノミネートされている(発表は3月4日)。間違いなく、2017年を代表する作品のひとつだ。

本作を仕掛けたのはマーティン・マクドナー。アイルランド文学界では重要な存在といわれる劇作家で、その戯曲はアメリカのトニー賞にノミネートされ、イギリスのローレンス・オリヴィエ賞に輝くなど、多くの注目を集めている。

もっともマクドナーの興味はもっぱら映画に向いているようで、自らの脚本の映画化に力を注いでいる。2006年に、初めて手がけた短編映画『Six Shooter』がアカデミー短編映画賞に輝いたことに力を得て、2008年には長編の『ヒットマンズ・レクイエム』(劇場未公開)、2012年には『セブン・サイコパス』を発表し話題を集めた。いずれもクライム・ドラマの形式をとりながら画面にブラックなユーモアが漂うのが特徴で、寡作ながら、個性的な作風が評価された。

 

本作はマクドナーの個性が際立った仕上がりとなっている。娘を何者かに焼き殺された母の怒りが犯人を捕まえられない警察に向き、道路看板に意見広告を掲げたことから、予想もつかないストーリーが展開していく。毒舌・行動的な母をはじめ、病に苦しみつつ事を穏便に済ませようとする警察署長、マザコンで差別主義の巡査など、登場人物がいずれも過剰な部分を持ち合わせたキャラクターばかりとあって画面に不穏なテンションを生み、サスペンスがグイグイ盛り上がる。見る者を惹きこみ、翻弄する。

設定は深刻でシリアスながら、コミカルな部分が多く、最後は感動まで湧き上がってくる。「悲しみに直面しても、ユーモアで絶望と向き合い、葛藤するのが人生だ」とマクドナーはコメントしている。まこと、彼の監督作のなかでも群を抜いた面白さだ。

この世界をマクドナーとともに作り上げた俳優陣が素晴らしい。彼らはミズーリ州の田舎町で暮らす人々の気質を巧みに体現してみせる。ヒロインの母親に扮するのは『ファーゴ』でアカデミー主演女優賞に輝き、『スタンドアップ』をはじめ3度の助演女優賞ノミネートを誇るフランシス・マクドーマンド。警察署長に『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』のウディ・ハレルソン、マザコン巡査には『セブン・サイコパス』のサム・ロックウェル。加えて『ジオストーム』のアビー・コーニッシュ、『ウィンターズ・ボーン』のジョン・ホークス、『ピクセル』のピーター・ディンクレイジなど、芸達者が揃っている。

 

アメリカ・ミズーリ州の田舎町エピングの寂れた道路脇に設置されている3つのビルボードに、「レイプされて死亡」、「なぜ? ウィロビー署長」、「犯人逮捕はまだ?」というメッセージが飾られた。7カ月前に娘をレイプされた上に焼き殺された母ミルドレッドが進展しない捜査に腹を立てて掲げたのだ。

この看板は町にセンセーションを巻き起こす。警察のウィロビー署長はガンの末期にあったが、懸命に事を収めようとし、署長の病状を知っているディクソン巡査をはじめとする町人たちはミルドレッドを諫めようとするが、彼女は全く意に介さない。神父や歯科医など、彼女に出会う人の忠告を吹き飛ばし、ついには別れたDV夫までやってくるが、彼女は意思を曲げない。

孤立無援となったミルドレッドの周囲で思いもしなかった事態が次々と勃発する。犯人逮捕を願う彼女のとてつもない行動によって、事件の行方は大きく転がり始めた――。

 

辛辣な看板がきっかけとなって、ストーリーが予想もしなかった方向に転じていく面白さ。まさにマーティン・マクドナーの練りこまれた作劇術に翻弄されるばかり。予測不能ということばがふさわしい。田舎道の看板からはじまって、事がどんどん転がり始め、速度と緊張度を増しながら、思いもよらないクライマックスを迎える。うまい。その語り口に酔いしれる。

しかも、ヒロインも警察署長も深刻なシチュエーションなのにもかかわらず、思わず笑ってしまうユーモアがそこかしこに散りばめられている。他人の切実な事態は、傍から見たら滑稽に映ることは現実でも多々ある。マクドナーはそうした事態をリアルに紡ぎつつ、登場人物の心情をくっきりと浮かび上がらせている。

なによりもキャラクターが素晴らしく魅力的だ。ヒロインは離婚し、息子と娘と暮らしていたが、娘を殺されて憤怒の極みにある。口の悪さは生来のもので、どんな状況にあっても泣き寝入りはしない。人間的な感情を持ち合わせつつも頑な、タフで自立している。演じるフランシス・マクドーマンドの奥行きのある表現力、意思を感じさせる容姿の賜物である。

彼女を際立たせるべく、署長役のウディ・ハレルソンもいい味をみせる。穏やかで人望も厚く、家庭思い。ただ末期ガンに罹っていて、どんな終わりを迎えるか思い悩んでいるキャラクターはこれまでのハレルソンが演じたことがなかった。控えめに演じていることがかえって好もしく見える。

またマザコンで口の悪い母に歯が立たない巡査を演じたサム・ロックウェルが秀抜の存在感をみせる。根っからの差別主義者で、抵抗しない奴にはサディスティックな暴力をふるう男ながら、署長を敬愛している。この欠点だらけの男がストーリーを運ぶキャラクターとなるのだ。こうしたクズ的キャラクターを演じさせると、ロックウェルは舌を巻くほどうまい。アカデミー助演男優賞にハレルソンとロックウェルがともにノミネートされたのも頷けるところだ。

この他、元亭主役のジョン・ホークス、ヒロインに心を寄せる役でピーター・ディンクレイジが個性をにじませて、ミズーリの田舎町に住む人々の気質を浮き彫りにする。このキャスティングはすばらしい。

 

本作は見方を変えれば、男性優位のコミュニティに反逆する女性の物語でもある。ラストも決して後味が悪くない。ある種、吹っ切れた痛快さを持ち合わせた快作。アカデミー会員たちはどのように判断するだろうか。