『苦い銭』は、中国の匠ワンビン(王兵)が経済至上主義社会の一側面を描いた、傑作ドキュメンタリー!

『苦い銭』
2月3日(土)より、イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
配給:ムヴィオラ
©2016 Gladys Glover-House on Fire-Chinese Shadows-WIL Productions
公式サイト:http://www.moviola.jp/nigai-zeni/

 

2016年ヴェネチア国際映画祭で脚本賞とヒューマンライツ賞に輝いた、ワンビン(王兵)作品である。これだけで無条件に食指が伸びる。

ワンビンという名は鮮烈に記憶に刻まれている。最初にこの監督の名前を目にしたのは2003年のことだ。山形国際ドキュメンタリー映画祭の応募作品『鉄西区』の監督として存在を知った。

『鉄西区』は第1部『工場』が240分、第2部『街』が175分、第3部『鉄路』が130分、なんと合計9時間5分からなる超超大作である。中国東北部瀋陽の廃れゆく地域・鉄西区を3部構成のなかで浮き彫りにしている。1999年から2003年にかけて撮影に挑み、不振に陥った工場という計画経済の顧みられない遺産、社会主義制度での生活がいかに個人や社会に影響を与えたかを考察していく。上映が始まった当初こそ上映時間の長さを考えて途方に暮れるものの、次第に映像に惹きこまれ時間を忘れるようになる――。

登場する人々の生活、日常に触れ、監督の透徹した眼差しに感心するうちに、圧倒的な到達観とともに終わりを告げる。体制を支え、消費される無名の人々に寄り添う、まこと得難い映像体験だった。『鉄西区』は山形国際ドキュメンタリー映画祭において大賞にあたるロバート&フランシス・フラハティ賞に輝いたことはいうまでもない。

ワンビンの才能には2007年にも脱帽することになる。2007年に山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品された『鳳鳴(フォンミン)-中国の記憶』にまたも圧倒されたのだ。地方の新聞記者だった和鳳鳴(ホー・フォンミン)が味わった1950年代から1974年までの過酷な体験を、本人の詳言によって浮かび上がらせている。和鳳鳴は同じく新聞記者だった夫の記事がもとで“右派分子”のレッテルが張られ、夫とは別の収容所に送られる。さらに文化大革命の粛清運動の迫害を受けるなど、1974年に名誉回復がなされるまでに、彼女はまさに激動流転の軌跡を送ることになる。

ワンビンは不屈の女性、和鳳鳴を称え、記憶を滔々と語る姿をひたすら撮影し続ける。まるでカメラを向けていながら、彼女の激烈な体験に惹きこまれているようだ。中国現代史の暗部の犠牲となり、翻弄される日々を送っても、間違ったことはしていないという彼女の強い意志は映像を通して伝わってくる。この作品がまたも山形国際ドキュメンタリー映画祭ロバート&フランシス・フラハティ賞に輝くことになった。

こうしてワンビンの名は深く刻み込まれ、以降、一般劇場で公開されるようになったのは喜ばしい限り。各国の映画祭でも作品は高く評価され、匠としての風格を備えつつある。

 

本作はそうした映画作家ワンビンの個性をとことん満喫できる仕上がりになっている。

題材に選ばれたのは出稼ぎ労働者たち。経済至上主義となった中国で、決して高額ではない給料を得るために故郷を遠く離れた人々に寄り添う。ワンビンは絶妙の距離感をもってカメラを向け、日々の哀歓を掬い上げる。テレビなどに登場する大都会に住む成功者とは正反対の中国庶民の実相がここにはある。人口14億人がひしめきあう大国の素顔が類まれなるワンビンの演出によってくっきりと浮かび上がってくるのだ。

 

映画は初めて出稼ぎに向かう雲南省の少女たちから滑り出し、浙江省湖州市織里(ジィリー)にカメラを据える。

湖州は養蚕が盛んで、かつて“湖州シルク”で栄えた場所。織里は国から1995年に町レベルの経済発展モデルに指定され、衣類加工工場が結集。子供服の生産では全国の7~8割を占めているという。安い労働力を求めた結果、湖州では出稼ぎ労働者が住民の80%を占め、30万人以上の人々が暮らしている。

中国各地から金を稼ぐために集まった人々は期待を裏切られ、予想以上に過酷な労働に従事し、わずかな金額しか手にできない。雇用側も個人零細経営が多く、そうした縫製工場は1万8000を超えるという。カメラは縫製工場に従事するさまざまな人々の人生をくっきりと浮かび上がらせる。

雲南から来た少女は先輩に支えられて現実の厳しさを知り、彼女と同じ工場で働く安徽省出身の女性は郷里に子供を置いて夫婦で稼ぎに来たものの、夫は右手を切断する事故に遭い雑貨屋をはじめるが喧嘩は絶えない。金を稼げずに酒に逃げる男もいれば、生来の不器用さで半ば自棄になって別の工場に移る男もいる。カメラの前に立つ人々のエピソードは切なく、ほろ苦く、ささやかな喜びと大きな悲しみに満ちている。

ワンビンは出稼ぎ労働者たちの懐に易々と入り込み、カメラ前とは思えない自然な表情を切りとり、自然な会話を引き出す。決して望ましい環境とはいえないのに、懸命に日々を生き抜く人々の喜怒哀楽が映像に焼きつけられている。人々を入れ替えながら、巧妙に人間関係を知らしめる編集の妙。なによりも登場人物が魅力的で、見る者は共感を禁じ得ない。かつて日本でもこうした環境は存在したし、今でもさほど状況は変わっていない。

ワンビンは経済至上主義に対して違和感を覚えながら、大勢に“流される”庶民の姿を鮮やかにとらえる。どのエピソードも魅力的で、ドキュメンタリーにもかかわらず、ヴェネチア国際映画祭脚本賞を受賞した事も納得がいく。ワンビンの演出はどんどん円熟味を増している。

 

2時間43分という上映時間ながら汲めど尽きせぬ面白さ。ワンビン流人間喜劇、これは一見をお勧めしたい。