猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』はヒーローの正しき資質を問いかける、SFサスペンス3部作完結編!

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』
10月13日(金)より、全国ロードショー
配給:20世紀フォックス映画
©2017 Twentieth Century Fox Film Corporation.
公式サイト:http://www.foxmovies.jp/saruwaku-g/

 

『猿の惑星』というタイトルが広く認知されたのは、1968年に公開された同名作が世界中でセンセーションを巻き起こしたからだ。

ピエール・ブールの風刺に満ちた原作に、テレビシリーズ「ミステリー・ゾーン」の脚本を担当した才人ロッド・サーリングと、ブール原作の『戦場にかける橋』を手がけたマイケル・ウィルソンが巧みに脚色。当時の大スター、チャールトン・ヘストンが主役を演じ、監督のフランクリン・J・シャフナーの骨太な演出を貫いた。とりわけ原作と異なるラストシーンの衝撃が見る者の心を打ったのだ。

反響の大きさから、シリーズ化されて4本の続編が誕生。さらにはアニメーションと実写のテレビシリーズまでつくられた。綴られたのは、猿が地球の支配者になった過程。『猿の惑星』サーガがここに誕生したことになる。

2011年に登場した『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』は、この『猿の惑星』サーガの設定と世界観を基本に置きつつ、壮大な前日譚として、現実を踏まえ、よりリアルに踏み込んだ世界を構築してみせた。スリリングなホラー『レリック』の脚本で知られるリック・ジャッファとアマンダ・シルヴァーのコンビは、アルツハイマー病治療薬開発のための動物実験で猿の知能が劇的に進化する一方で、新薬が人類に災いをもたらす元凶になるというストーリーを構築。人類滅亡のシナリオと猿の蜂起に至るプロセスを巧みに生み出した。

脳科学者ウィル・ロッドマンに育てられた、並外れた知能を秘めた猿シーザーを軸に、猿の側から語られる蜂起までの展開は説得力があり、人間の傲慢さも浮き彫りにされていた。

日本未公開の『DATSUGOKU-脱獄-』で注目された英国人監督ルパート・ワイアットの無駄のない演出がこの世界観をくっきりと浮き彫りにして、作品は大ヒット。シリーズ化されることとなった。

2014年に発表された第2弾『猿の惑星:新世紀(ライジング)』では、脚本にジャッファとシルヴァーに、『ウルヴァリン:SAMURAI』などで知られるマーク・ボンバックが参加。サンフランシスコ郊外の森に逃れた猿たちと、未曾有のパンデミックを生き延びた人類との生存を賭けた確執が紡がれた。リーダーとなったシーザーが結婚し親となる。人類に対して同情を抱く彼の心の板挟みを軸に、猿の強硬派、人間の強硬派との戦いが描かれる。

監督が『クローバーフィールド/HAKAISHA.』のマット・リーヴスに変わった分、メリハリの利いた仕上がりとなって、人間との共存を考えるシーザーのリーダーとしての正しき資質が浮き彫りにされる。猿の惑星は、シーザーによってもたらされたことが明示されたのだ。

そして第3弾、本作が登場する。描かれるのは人間の愚行に翻弄されながら、猿にとっての“約束の地”に導くシーザーの姿だ。3部作として導師シーザーの一代記がここに完結する。

マーク・ボンバックとマット・リーヴスが脚本を担当し、監督は前作に続いてリーヴスが起用されている。出演は、3部作を通してシーザーを演じたアンディ・サーキス。『ロード・オブ・ザ・リング』3部作のゴラム役で一躍、パフォーマンス・キャプチャーの第1人者となった彼がシーザー役でヒロイズムを映像に焼きつけている。

共演は『ラリー・フリント』のウディ・ハレルソン。さらに『ライト/オフ』のアミア・ミラーが美少女ぶりを披露すれば、『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』のスティーヴ・ザーンがモーション・キャプチャーに挑戦している。

 

猿と人間との全面戦争が勃発して2年後、シーザーは森の奥深く、滝の裏側に群れとともに身を潜めていた。

だが、軍隊を率いる大佐の奇襲に会い、妻と年長の息子を殺されてしまう。復讐にかられたシーザーは、群れを新たな隠れ家に向かわせ、オランウータンのモーリス、片腕のロケットとともに復讐の旅に出る。

途中、口のきけない人間の少女を拾い、大佐の居場所を知っているチンパンジーのバッド・エイプを道案内にして巨大な要塞に辿り着く。だが、冷静な判断力を失ったシーザーは大佐の手に落ちてしまう。収容所には新たな隠れ家に向かったはずの群れも重労働を強いられていた。

厳しい監視と重労働のなかでシーザーは群れの仲間を約束の地に導くことができるのか。捕まらなかったモーリスたちの助けが功を奏するのか。

やがて人間たちに予期せぬ兆候が起き始める――。

 

本作でシーザーを主人公にした3部作は結末を迎える。人間に愛されて育ったがゆえに、人間への情を抱くシーザーが、サルの群れを率い人間との厳しい生存の戦いのなかで、愛する者を失いながらも、リーダーとしての資質に目覚め、生命を賭して群れを約束の地に誘う。いわば本作は、さまざまな試練を経てリーダーとしての正しき資質を身につけたヒーローの成長物語なのだ。

最初は精密なモーション・キャプチャー技術で猿にしかみえないシーザーだが、人間よりも人間らしい彼の葛藤を目の当たりにするうち、次第に共感度が高まっていく。この感覚はアニメーションと同じである。マット・リーヴスは収容所に捕らえられたシーザーがいかに脱出するかのサスペンスをクライマックスにして、きびきびとした語り口で紡ぐ。狂気に満ちた大佐と、復讐の炎を燃やしながらも人間を憎み切れないシーザーの資質が対比され、収容所の体験を通してシーザーは大きく成長する姿が焼きつけられる。

最後は、脱出した猿たちそっちのけで、人間対人間の死闘が展開する。愚行を繰り返す人間を風刺しながら、シーザーのような全き指導者の出現を待望するという結論か。みごとな幕の引き方である。

 

演者では狂気の大佐役のウディ・ハレルソンは手堅い演じっぷりながら、やはりアンディ・サーキスやスティーヴ・ザーンをはじめとする、モーション・キャプチャー組が圧倒的に頑張っている。モーション・キャプチャー技術は今後、どのように進化するのか予想もつかないが、ここまで演技、表情、仕草が反映されるなら、どんなキャラクターでも演じることができるはずだ。

 

できるなら、『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』と『猿の惑星:新世紀(ライジング)』をみてから、本作を堪能していただきたい。まとめてみると、感慨もひとしおだ。