『彼らが本気で編むときは、』はマイノリティと新たな家族の在り様を謳った、リアルでハートウォーミングなドラマ。

『彼らが本気で編むときは、』
2月25日(土)より、新宿ピカデリー、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:スールキートス
©2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会
公式サイト:http://kareamu.com/

 

 1本の傑作、あるいはヒット作で名前を知られると、そのイメージはずっとついてまわる。俳優では当たり役ということになるが、映画監督も同じこと。これが次々とヒットを重ねる存在であれば少しは違うかもしれないが、それでも最初に鮮烈だった作品のイメージは消えることがない。

 2005年に『かもめ食堂』で広く認知された荻上直子監督はその典型だろう。荻上監督といえば『バーバー吉野』や『恋は五・七・五』で、温もりのあるユーモラスな作風が評価されていたが、『かもめ食堂』が決定打となった。フィンランドのヘルシンキを舞台に、食堂を開いた日本人女性と奇妙な客が織りなすゆるくて心温まるコメディ世界が、当時流行していたスローライフ・ブームと呼応し、のんびり生きて何が悪いという女性たちの本音を代弁して大きな反響を呼んだのだ。以降、荻上監督はスローライフで“ありのままに生きたい”女性の代弁者として認知されるようになった。

 そんな荻上監督が5年ぶりにメガフォンをとったのが本作である。これまでと同じく、自分らしく生きるためにマイノリティでいることを描いた作品ながら、明確に異なる部分がある。本作はこれまでのように主人公たちのほんわかしたファンタジーに終わらせていない。彼らを見つめる周囲(マジョリティ)の気持ちもきっちりと描きこんでいる点で、現実を反映したリアルさを画面に反映させているのだ。

 描かれるのはセクシュアル・マイノリティ、トランスジェンダーの女性をめぐるストーリーだ。育児放棄された小学5年生の女の子を軸に、引き取った叔父とトランスジェンダー女性が女の子に家族の温もりを教えるストーリーとなる。

 健気に日々を生き、優しさを忘れないトランスジェンダー女性を称えつつ、家族、家庭の在り様を問いかける。ユーモアを散りばめながら、現実の過酷さもきっちり描きだし、深い感動を呼ぶ仕上がりとなっている。

 荻上監督には2度のアメリカ滞在があり、アメリカでは多くのセクシュアル・マイノリティが周囲にいたのに、日本に戻ると彼らの姿が見えないことに違和感を覚えていたのだという。セクシュアル・マイノリティが自分らしく生きることを謳いたいとの思いから、本作の脚本を書き上げた。題材の特異性、なによりオリジナルのため認知度がないことが映画化実現に時間がかかった理由とか。その間に溜まったエネルギーを本作にすべてぶつけた印象だ。癒し系、スローライフの監督、『かもめ食堂』の監督とはもう呼ばせないという決意が作品からは感じられる。

 出演は『予告犯』や『グラスホッパー』などで多彩なパフォーマンスを見せる生田斗真。ここではトランスジェンダー女性に成りきって細やかな演技を見せてくれる。さらに「海の声」をヒットさせ、俳優のみならず歌手としての力量の高さも証明した桐谷健太、オーディションで選ばれた柿原りんか、ミムラ、小池栄子、門脇麦、リリィ、田中美佐子など、ヴァラエティに富んだ顔ぶれだ。

 

 母親が男を追って姿を消したために、小学5年生のトモは叔父のマキオの家に向かう。マキオはトランスジェンダーの女性リンコと暮らしていた。

 介護施設で働くリンコは優しくトモに接してくれた。おいしい料理と温かい団らん、これまで味わったことのない家庭の温もりを感じたトモは次第に心を開いていく。

 マキオは認知症となった母に面会に行き、甲斐甲斐しく世話をする介護士のリンコに一目ぼれしたのだ。ふたりはともに暮らし始め、幸せな日々を送っていたが、トモが加わったことでさまざまな波紋が起きる。そうした辛いこと、悔しいことがあるたびに、リンコは編み物をする。奇妙な形状の編み物は“煩悩”と名付けられ、それが108個になったら燃やして自分を解き放つとリンコは決めていた。

 トモの同級生の母親の心ない行動により児童相談員が立ち入り検査をするなど悔しい出来事が重なるが、リンコはトモの母になりたいと宣言する。幸せな日々が続いたが、ある日、トモの母が現れたことで生活は一変する――。

 

 荻上監督は少女の視点からこの切ないストーリーを綴っている。どんなに悲惨な状況であっても、親は親。子供は親を選べないし、親を慕っている。そんな非道な状況に追い込む親も、育ててくれた親の影響でそんな人となりになってしまったのだ。監督は親に対して公平性を保ち、悲劇的な状況を単純に弾劾しない。親には親の理由があるが、そのことが子供に深い傷を残している事実をさらりと浮き彫りにする。深刻な状況を、ユーモアを底流にして紡ぎだしている。

 置き去られた少女はトランスジェンダー女性と出会うことで、家族の温もり、家庭の楽しさを知る。だがセクシュアル・マイノリティに対する偏見は根強くあり、少女は世間の冷酷さを肌で感じるようになる。彼女の最後の決断は彼女の成長を物語るものだ。荻上監督は世間の不寛容さを描きつつも、未来に対する希望を失ってはいない。聞けば母親になったことが本作にも大きく影響しているとか。母としての決意、想いが作品にきっちりと反映されている。もちろん、そうはいっても柔らかい世界観、マイノリティに対する共感に満ちた眼差し、優しい語り口はこれまでと変わってはいない。5年間、作品をつくれなかったことで、監督自身が成長したと表現したくなる。「この作品が荻上監督の第2章のはじまり」と監督自身がコメントしているが、本作で、ファンタジーではなくリアルにマイノリティを語る匠となった感じがする。

 

 出演者では胸をつけてトランスジェンダー女性を演じた生田斗真が素晴らしい。所作・動作を特訓し、キャラクターを完璧に表現している。この役を引き受けた勇気と、演じ切った俳優魂を素直に称えたい。マキオ役の桐谷健太も素直でいいが、感心したのは柿原りんかの演技だ。子役にありがちな臭みもなく、ただひたすらトモというキャラクターとして画面で躍動している。この子は将来、おとなの女優として活躍するに違いない。リンコの母親役の田中美佐子、認知症の母を演じた今は亡きリリィなど、出演者すべてがキャラクターをみごとに体現している。これだけの俳優陣を仕切った荻上監督の演出力に拍手を送りたい。

 

 親であろうとなかろうと、誰もが誰かの子だ。子供の健気な気持ちを実感するには最適の作品だし、あるいはマイノリティであっても自分らしく正直に生きることの意気を感じることができる作品。一見をお勧めする所以である。