『たかが世界の終わり』は若き匠グザヴィエ・ドランが描く、エモーショナルで愛しい家族のドラマ。

『たかが世界の終わり』
2月11日(土)より、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか、全国順次ロードショー
配給:ギャガ GAGA★
©Shayne Laverdiere, Sons of Manual
公式サイト:http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/

 

 カナダ・ケベック州は他の州と一線を画し、フランス語を公用語として独自の文化を形成してきた。影響力のある隣国のアメリカよりも、ヨーロッパを向いているといわれ、映画もヨーロッパの映画祭で評価されるような作家性の高いものが志向されている。

 このケベックから彗星のように現れ、カンヌ国際映画祭やヴェネチア国際映画祭を熱狂させたのがグザヴィエ・ドランである。2009年には監督・脚本・主演作『マイ・マザー』をカンヌ国際映画祭監督週間に出品。1989年生まれの19歳という若さにもかかわらず、完成度の高さがセンセーションを巻き起こした。

 天才と称賛され、注目の的になったドランは続く『胸騒ぎの恋人』と『わたしはロランス』をカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品。『トム・アットザ・ファーム』はヴェネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞に輝き、『Mommy/マミー』はカンヌ国際映画祭審査員賞を手中に収めている。そして本作はカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。発表する作品がことごとく映画祭に招かれ、高い評価を受ける。これだけ期待されている監督も珍しい。

 6歳の頃から子役として活動していたというから、早熟なのは無理もない。監督のみならず、俳優としても活動し、ルイ・ヴィトンのアンバサダーに選ばれて広告キャラクターになるなど、もはや存在そのものがニュースとなりつつある。

 作品に共通するのは親しい人との関係性の断絶。その葛藤のドラマを、奇をてらわずに、感性に富んだ映像で紡いで、見る者の共感を呼ぶ。

 本作も家族の葛藤を描いた、ある種のホームドラマながら、演出力がさらに増している。映像から発散される繊細な感情に翻弄され、画面から目が離せなくなるのだ。1995年に38歳でこの世を去った劇作家ジャン=リュック・ラガルスの戯曲、「まさに世界の終わり」をもとに、ドランが脚本を仕上げ、監督、製作、編集も兼ねた逸品である。

 話題はドランのもとに馳せ参じた豪華な出演者だ。『ハンニバル・ライジング』で世界に名を知らしめたギャスパー・ウリエルに、『美女と野獣』のレア・セドゥ。『マリアンヌ』のマリオン・コティアールに加えて、『ジェイソン・ボーン』のヴァンサン・カッセル。さらにフランソワ・トリュフォーの『恋愛日記』やジャン=リュック・ゴダールの『勝手に逃げろ/人生』に出演し、今やフランス映画界を代表する大女優となったナタリー・バイまで、まさに人気、実力ともに申し分のない顔ぶれが揃っている。

 

  もうすぐ死ぬことを伝えるために、人気作家のルイが12年ぶりに実家を訪れる。彼があえて選んだ長い空白が家族を疎遠なものにしていたが、実家には家族全員が揃っていた。

 不愛想で尊大な兄のアントワーヌに初対面の兄の妻カトリーヌ、子供時代か知らない妹のシュザンヌに、母のマルティーヌ。ぎこちない挨拶を交わす間もなく、アントワーヌとシュザンヌの口論がはじまる。さらに場を和まそうと子供の話をするカトリーヌにアントワーヌが厳しく注意する。ルイがゲイであること、家を捨てたことに関して、家族全員の気持ちがわだかまっていた。

 母親とふたりになったとき「なぜ来たのか」と尋ねられるが、ルイはとっさにことばが出ない。母も恐れるかのように話題を変えてしまった。ひとりになって若いころの記憶が蘇ったルイに、カトリーヌはアントワーヌと話すように勧める。アントワーヌとタバコを買いに出かけることになったルイは自らの病を伝えることができるだろうか――。

 

 冒頭、カミーユが歌う、切ない「Home is where it hurts」のメロディとともに、車中からのショットで滑り出す。流れるように作品世界に誘うドランの手腕に素直に惹きこまれる。決して難解ではなく、ストレートにみる者に届く語り口である。

 語られる家族の関係も決して絵空事ではなく、キャラクターたちの心情も十分に理解できる。なにより実家を捨てた人間の突然の来訪なのだから、家族それぞれの思いも複雑なことも分かる。ゲイであり、故郷を捨てたという恨みもあれば、有名になったことの羨望もある。さらにルイの生気のなさで、体に異変があることも察することができる。そうしたすべてのことが家族の会話をぎこちなくし、口論となっていくのだが、その根底には愛がある。罵倒や傷つけあうことも愛の表現であることを、ドランは映像にくっきりと焼きつけている。

 自分も俳優であることも影響しているのか、ドランは俳優たちに寄り添い存分に演じさせている。演者の仕草や動きを注視し、その一瞬、一瞬を情感込めて切り取り、キャラクターそれぞれの思いを浮かび上がらせている。ルイと母親が抱擁するシーンでの、指先にこもる感情を的確にとらえたあたりは、まさに脱帽ものだ。

 

 俳優たちのアンサンブルも素晴らしい。ルイを演じたギャスパー・ウリエルが受けに徹した演技をみせれば、アントワーヌ役のヴァンサン・カッセルが直情径行のキャラクターそのままの熱演をみせる。女優陣も、無神経そうで洞察力のあるカトリーヌをマリオン・コティアールがさらりと表現し、レア・セドゥは無邪気で反抗的、家を飛び出したい妹シュザンヌを存在感たっぷりに演じ切る。なによりも母親役のナタリー・バイの貫禄の演技が素晴らしい。

 

 ガブリエル・ヤレドの情感あふれる音楽を駆使して綴られる、死を意識した男と家族が奏でる、切なく哀しいホームドラマ。愛しい仕上がりだ。