『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』はペーソスに溢れた、感動の夫婦愛の物語。

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』
12月1日(木)より、TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー
配給:ギャガ GAGA★
©2016 Pathé Productions Limited. All Rights Reserved
公式サイト:http://gaga.ne.jp/florence/

 

 メリル・ストリープがアメリカ映画界屈指の女優であり、並外れた演技力の持ち主であることは論を待たない。その証拠となるのはアカデミー賞にノミネートされた数の多さ。助演、主演をあわせて、2015年時点で19回を数えている。受賞は主演女優賞が『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』と『ソフィーの選択』。助演女優賞が『クレイマー、クレイマー』にとどまっているが、実力面でいえば、現在活動するすべてのアメリカ女優を凌駕している。

 なによりどんなキャラクターにも成りきり、それでいてストリープの個性は揺るがない。シリアスからコメディ、主役、脇役にもこだわらず、数多くの作品に出演。近年は『マンマ・ミーア!』や『イントゥ・ザ・ウッズ』といったミュージカルにも積極的で、『幸せをつかむ歌』では少々くたびれた女性ロッカーに扮して素晴らしい歌声を披露していた。

 

 もはやストリープが何を演じても動じなくなっていたのだが、本作には驚かされた。彼女が音痴の実在女性を演じている。音痴というのは、果たして演技力で表現できるものなのか。自らの豊かな音楽的素養が顔を出して苦労するに違いない。そう考えつつ、本作をみるとさらに驚いた。ストリープはみごとに音痴に成りきっている。それも単なる音痴ではなく、魅力的な音痴として魅力を放っていた。

 ストリープが演じたフローレンス・フォスター・ジェンキンスは確かに魅力的な音痴であったようだ。多くの音楽家を支援した資産家でこよなく音楽を愛する彼女は、ソプラノ歌手になる夢を捨てきれず、特訓の後、76歳の時にニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルを開いた。ホールの記録をつくるほどの観客を集めたというから、大したものである。残した唯一のアルバムはデヴィッド・ボウイにも愛されたというから、ますます単なる音痴ではない。

 フローレンスは1868年に生まれ、1944年に亡くなっので、リサイタルは死の直前に行われたことになる。本作が描き出すのはフローレンスのリサイタルに至る軌跡と、彼女を懸命に支えた夫シンクレア・ベイフィールドの姿である。ふつうの夫婦関係ではなくても、深く愛し合ったふたりを、映画は優しく讃えている。

 脚本は「もう一人のバーナビー警部」をはじめイギリスのテレビ映画シリーズで活動してきたニコラス・マーティン。本作が初の映画作品であると同時に、アソシエート・プロデューサーも務めている。丹念にフローレンスの軌跡を調査し、彼女の哀しい実像を浮き彫りにしている。

 監督には『マイ・ビューティフル・ランドレッド』の昔から、『グリフターズ/詐欺師たち』、『ハイ・フィデリティ』、『クィーン』などなど、確かな演出力で多彩な作品歴を誇るスティーヴン・フリアーズが起用されている。

 さらに話題は、ストリープの相手役にヒュー・グラントが起用されていることだ。『フォー・ウェディング』や『ノッティングヒルの恋人』、『ラブ・アクチュアリー』などで知られるロマンチック・コメディの帝王がここでは献身的な夫にチャレンジする。グラント自身、ストリープが相手で、かなり気後れしたとコメントしているが、俳優の個性を引き出すのがうまいフリアーズの指導のもと、軽妙な味を保ちつつ、年相応のペーソスをみごとに映像に焼きつけている。

 共演はTVシリーズ「ビッグバン★セオリー ギークなボクらの恋愛法則」で注目されたサイモン・ヘルバーグ、『ヘラクレス』のレベッカ・ファーカソン、『ミッドナイト・イン・パリ』のニナ・アリアンダなど実力派が選りすぐられているが、ストリープとグラントの演技合戦が最大の見ものだ。

 

 ニューヨーク社交界でクラシック音楽の支援者として知られるフローレンス・フォスター・ジェンキンスは、歌手になる夢を捨てることができないでいた。

 25年間、甲斐甲斐しく彼女の面倒をみてきた“夫” シンクレア・ベイフィールドは、彼女の夢を叶えたいとは思っていたが、フローレンスはひどい音痴だった。

 それでもシンクレアは方々に手を回し、彼女が傷つかないように神経を使った。メトロポリタン・オペラで歌手を指導しているカルロ・エドワーズにレッスンを頼み、伴奏者には心優しいコズメ・マクムーン雇い入れる。

 コズメはフローレンスがあまりに音痴なので辞めようと思うが、シンクレアの献身とフローレンスの人柄に打たれて伴奏を続けることにする。

 シンクレアは自分たちが創設した〝ヴェルディ・クラブ“でのリサイタルを考えていた。フローレンスの親衛隊に切符を売り、コンサートを何とか成功に導く。しかしその直後にフローレンスは倒れる。

 実は、彼女は長年、不治の病におかされていた。シンクレアの献身は、フローレンスが音楽に対する情熱で生命を長らえていることを知っていたからだ。彼が別な場所で愛人を囲っているのも事情があってのこと。フローレンスと彼は深い精神的な絆で結ばれていた。

 少し回復したフローレンスは、シンクレアの留守中にコズメとスタジオでレコードをつくり、クリスマスプレゼントに皆に配り、なんと音楽の殿堂カーネギーホールをリサイタルのために予約する。

 ことここに至ってシンクレアも心を決める。自分のキャリアを守りたいコズメを説得し、リサイタルの成功のために奔走する。チケットは完売。果たしてフローレンスは笑い者にならずに、成功を収めることができるのか――。

 

 音痴をめぐるコメディかと思えば、ストーリーの進行とともに、夫婦の深い情愛の物語に転じていく。まこと、人の心の機微に触れる実話ではある。フリアーズは俳優の魅力を存部に抽出し、このちょいといい話を洒脱に描き出す。浮世離れしたフローレンスを演じるストリープは最初控えめに演じさせ、ヒロインの事情が少しづつ明らかになるにつれ、その存在感を高めていく。フローレンスの音楽に対する情熱、深い理解が明らかになると、いっそう音痴であることの哀しみも高まる。まして病の理由を聞けばなおさらのことだ。このあたりはまさにストリープの独壇場である。

 彼女はどのシーンも素晴らしいが、圧巻はコズメとピアノをともに弾くシーンだ。病のためにうまく弾けない彼女に、コズメがそっとサポートする。音楽することの素晴らしさが画面からにじみ出ている。ストリープの表情はこの上なく美しい。

 もともと音楽的素養のあるストリープはまず完璧に歌えるようにしてから、音程を崩していったのだという。作中で何曲も披露しているが、単に音程を外すのではなく、音楽愛に満ちた、情熱が高じたゆえの音痴を目指したとコメントしている。なるほど、みごとなぐらいに音を外しながら魅力があるのはそこに起因しているのか。

 これほどのストリープに対して、シンクレア役のグラントも負けていない。笑みを絶やさず、周囲に紳士的な物腰で接しながら妻のために奔走する。あくまでも献身に徹しながらも、弾けるところでは茶目っ気たっぷり。このユーモアとペーソスは年齢を重ねたグラントならではの味である。ふたりの個性を目いっぱい引き出し、みごとに融合したフリアーズに拍手を送りたくなる。

 共演者ではコズメ役のサイモン・ヘルバーグが群を抜いている。心優しいピアニストを素敵に体現している。彼はピアノの素養があっ適用されたというが、その伴奏者ぶりはみごとの一語だ。

 

音楽好きならば心に沁みる。大人の観客が感動する作品。正月にゆったりとした気分でご堪能あれ。